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ラッフルズ 1887
サラヴァン・マウは、カンボジア、シェムリアップにあるRaffles Grand Hotel d'Angkorの専属歴史案内人です。1970年にパイリン州で生まれ、首都プノンペンで教育を受けた 彼が案内するホテルの歴史ツアーは、リゾートプログラムの重要な要素となっており、カンボジアの激動の近現代史に関する彼自身の体験に基づいた知識は多くの人々から大変人気があります。ここでは、彼の典型的な1日のスケジュールをご紹介します
午前8時
もう一つの顔である常駐サービスマネージャーとして、バトラーチームへ業務を割り当てることから1日が始まります。1932年に開業した当ホテルは、シェムリアップで最も古いホテルとして、多くの変化を目の当たりにしてきました。2010年から専属歴史案内人として、またRaffles Singaporeでバトラー研修を受けた経験を生かし、当リゾートとその物語を生き生きと伝えられるよう、すべてのバトラーのトレーニングを担当しています。
午前10時
その日最初の歴史ツアーは、ホテル内を巡る40分間の 「The Untold Stories(語られざる物語)」から始まります。まず、旧フランス人街に建てられた、当ホテルのフランス・アールデコ様式の建築の細部をご紹介します。1930年代、アンコールワットの寺院群がヨーロッパで知られるようになると、アジアにおける最初の高級リゾートホテルの一つとして、欧州の上流階級の人々が当ホテルを訪れるようになりました。1970年代の内戦中には一時閉鎖されましたが、1997年にラッフルズ・ホテルとして再び開業し、私もそのときにスタッフとして加わりました。ツアーでは、当ホテルの歴史を築いてきた著名人たちや、歴史的な出来事についてもお話しします。多くのお客様が特に関心を寄せられるのは、カンボジアの文化や現代の暮らし、そしてクメール・ルージュ時代の生活についてです。その時代を実際に経験している私だからこそ、お客様の質問すべてに答えることができ、このツアーは非常に個人的なものとなっています。
午後2時
午後は、2回目の歴史ツアーがない場合は、ホテル近くの国立博物館にご案内することもあります。多くのカンボジア人と同じように、私は自国の歴史を語ることに誇りを感じています。クメール・ルージュによる4年間の占領下では、300万人もの命が奪われ、教育は存在せず、宗教的行事は禁止され、家族は引き裂かれました。あらゆるものが破壊されたように感じられた時代です。その後、ベトナムの保護下を経て、1991年にカンボジアは国連の保護下に置かれました。私はその頃、国連でドライバー兼ガイドとして働いていました。しかし1993年の総選挙後、職を失ったため、カンボジアの歴史を研究し、アンコールの寺院や他の歴史的遺跡を案内するツアーガイドに転職しました。現在でも時々、ホテルを代表してお客様を寺院にご案内し、プライベートガイドとして同行することがあります。
午後5時
1993年以来、カンボジアは連立政権による立憲君主制国家です。国王の姪にあたるチャンシタ王女(ノロドム・ボパ・デヴィ王女のご息女)は、ラッフルズのアンバサダーを務めています。王室について何か質問があるときは、私はいつも彼女に連絡をし、王女はお客様とのアフタヌーンティーにも気さくに応じてくださいます。当ホテルは王室とのつながりも深く、「レストラン1932」のメニューの中には、代々王室の料理人から受け継がれてきたレシピを使用しているものもあります。また、ベルボーイの制服は王宮で使われているものと同じデザインで、絹のパンタロン(ズボン)も曜日ごとに異なる色を取り入れるなど、細部に至るまで忠実に再現されています。
午後7時30分
時には、プライベートグループのお客様から夕食に招かれ、カンボジアやシェムリアップの歴史、そしてホテルの物語についてカジュアルにお話しすることもあります。「レストラン1932」でお食事をともにする際には、カンボジアの歴史的な時代や1930年代の出来事、王室にまつわるエピソードから着想を得たメニューの背景をご紹介することもできます。お客様との会話は私にとって大きな喜びであり、この役割を担えることを嬉しく思っています。歴史案内人として、バトラーとして、ツアーガイドとして、フロントオフィスマネージャーとして、そしてゲストをお迎えするホストとして、私の様々な役割が見事にひとつに結びついていると感じています。