ラッフルズ 1887
カイロからマラケシュ、ドバイからケベックまで、世界各地には数えきれないほどの「チャーチル・スイート」が存在します。ウィンストン・チャーチルがそれらすべてに実際に宿泊したとは考えにくいものの、彼が長い生涯の中で非常に多くの国々を訪れたのは事実です。
しかし、Raffles London at The OWOの「チャーチル・スイート」は、まさに本物です。この偉大な政治家ウィンストン・チャーチルは、1919年から1921年まで旧陸軍省に勤務し、陸軍大臣として、今は彼の名を冠しているこの部屋で、当時極めて重要な会議のいくつかを取り仕切りました。
陸軍省(後の旧陸軍省)は、増え続ける軍の職員を収容するために1906年に建設されました。1,000室を超える部屋が4kmにも及ぶ廊下でつながれたこの建物は、迷路のように入り組み、職員間の連絡や所在不明の大佐を探したりするために、時には自転車に乗ったボーイスカウトが雇われていたほどです。
陸軍評議会室は2階にありました。この広々とした部屋は、建物の他の部分とは異なり、特に丁寧に装飾されていました。当時の写真を見ると、磨き上げられたマホガニーのテーブルの両脇に巨大なバロック様式の暖炉が並び、壁には重厚な木製パネルが施され、床は厚手のカーペットが敷き詰められている様子がうかがえます。
陸軍評議会室は、軍の統治に関する重要な決定が下される場所であり、「シェルショック」が実際には精神的な障害であると正式に認められたのもこの場所でした。後には、第二次世界大戦に関する重要な決定、例えばノルマンディー上陸作戦(D-Day)の計画などもこの部屋で立案されました。1940年に首相に就任したチャーチルはその頃、より安全とされる政府庁舎の「内閣戦時執務室」と呼ばれる地下室を拠点としていました。ホワイトホールの建物は、チャーチルが下院議員を引退した1964年まで陸軍省として使用され、その後も2011年までさまざまな軍事部門が置かれていました。
オリジナルの壮大な暖炉や輝く木製パネル、そしてホース・ガーズ・アベニューを見渡す床から天井までの大きな窓など、多くの特徴が修復された陸軍評議会室は、現在では世界で最も偉大な政治家の一人にちなんだ壮麗な2ベッドルームのスイートとして生まれ変わりました。もちろん理論上はウィンストン・チャーチルがここで実際に眠ったことはありません。しかし彼は午後の昼寝で有名でした。陸軍評議会室の暖炉そばの快適なアームチェアは、そんな彼にとってまさに理想の休息場所だったに違いありません。