ラッフルズ 1887
現在、バーレーンは、世界クラスの競馬やエネルギッシュなF1で知られているかもしれません。しかし、この小さな群島国家を最もよく象徴しているのは、その美しい真珠です。これらの輝く宝石は、何世紀にもわたり、バーレーンを世界と結びつけてきました。そしてマーク・エルウッドが見い出したように、これらの真珠は、今でも一つひとつ手作業で収穫されています。
アブドゥルナブイ・ハビブ・ブシャイカ(彼はシンプルに「漁師のナビ」と呼ばれることを好みますが)は片手をバケツの中に入れ、もう片手にナイフを持っていました。ナイフの刃が早朝の明るい陽射しで輝いていました。彼は一つの貝をつかみ、一度だけ刃を入れて巧みに殻を開き、中をつつき出しました。殻の外側が覆われているので、5年以上育っている貝だとわかっています。「アメリカから来た男が、とてもいいやつを見つけたんだ、1,000ドルの価値があるやつだ」と彼は期待しながら話しました。
ナビは、自然界で最も捕えるのが困難で美しい、偶発的な創造物である真珠について語りました。今回は、彼も見つけることができるかもしれません。彼は貝の身に反射して輝く真珠層の欠片、小さな薄片を指し示してにっこりと笑いました。宝石に覆われた4つのパンくずのように見えます。彼は「ほら、あげるよ」と言って、その貝殻をお土産としてプレゼントしてくれました。
"ここの海は、特に真珠貝の繁栄に適しています。また、真珠貝は、何世紀にもわたり、バーレーンが古来の交易路の中心地になるよう助け、世界と結びつけてきました"
ナビの家族は長きにわたり真珠漁に従事しており、牡蠣を獲るためにペルシャ湾に飛び込み、今回のような真珠貝を得るために丹念に収獲物を調べます。彼はバーレーン人で、この小さな群島国家の海は、特に真珠貝の繁栄に適しています。また、真珠貝は、何世紀にもわたり、バーレーンが古来の交易路の中心地になるよう助け、世界と結びつけてきました。「バーレーンは、ペルシャ湾の真ん中にあるということを忘れずに。『ペルシャ湾の中心』と呼ばれているんだ」と彼は話します。「女性を自分のものにしたいなら、その人の心をつかむ必要がある。ペルシャ湾を自分のものにしたいなら、まずはバーレーンに来る必要がある」
総面積約710平方キロメートルのこの諸島は、サウジアラビア沿岸からわずか24キロメートルの距離にあります。しかし、両国の文化と人々はまったく対照的です。長きにわたり偏狭だったサウジアラビアは、世界に向けてゆっくりと門戸を広げていますが、バーレーンは常に外に目を向けてきました。「サウジのような場所だと期待して訪れる人もいますが、同じではないんです」と語るのは、1992年に資本家の夫と共にバーレーンに移住し、現在はプライベートガイドとして働いているシルビア・ブエミです。「バーレーン人は、常にオープンで、非常に教育水準が高く、海外旅行や留学の経験があります。いつでも人々を大歓迎してくれます」
"バーレーンのハマド王は、故エリザベス2世に、同国がその発祥地として名高い2頭の純血種のアラブ馬を贈りました。この種は、スタミナと優しい性格という特有の組み合わせで受賞歴があります"
英語は非公式な第二言語でもあり、これは英国の保護領としてのバーレーンの歴史のレガシーです。このような英国とのつながりは今もなお強固で、競馬に対する共通の情熱も同様です。バーレーンのハマド王は、故エリザベス2世に、同国がその発祥地として名高い2頭の純血種のアラブ馬を贈りました(この種は、スタミナと優しい性格という特有の組み合わせで受賞歴があります)。バーレーン ターフ クラブは、このほどピカピカの新しいホーム競馬場を開業し、観戦者用の新しい複合施設とともにトラックも一新されました。外側トラックにあう約1,207メートルのシュートは、固い地形条件に合わせたもので、特定の走り方を優遇しないように設計されています。VIP専用の巨大な階段状のスタンドがあり、もちろんシーズンの初レースでは、英国大使が1つのボックス席でゲストをもてなします。また、バーレーンの一般大衆向けの大きな囲まれたエリアもあります。これは現地の若き建築家が設計したもので、軽食スタンドを備えていますので、ハルーミチーズやザアタルのクロワッサンをぜひお試しください。 広々とした席から疾走する馬たちの姿を楽しめます。
ロイヤルファミリーは、この群島国家にまったく異なる馬力ももたらしました。それはF1レースです。約30年前、コンコルドの機内で、皇太子の隣の席にジャッキー・スチュワートが座っていました。2人の会話が、F1の立役者であるバーニー・エクレストンとの出会いにつながりました。彼らはバーレーン本島の静かな南西の端に、世界クラスのレース場を建設する取引を迅速にまとめました。初のレースは2004年に開催され、今では毎年350回以上のイベントが行われており、スタンドは常に現地の家族や観光客でにぎわっています。
冬の暑い日には(11月でも、気温が21度を下回ることはめったにありません)世界耐久選手権の予選レースが開催され、フェラーリ、ポルシェ、ランボルギーニなどのレーシングカーが8時間のマラソンレースに備えます(マクラーレンは、もちろんバーレーン人がオーナーです)。観覧タワーの最上デッキから眺めると、激しい走行音がなければ、ヘアピンカーブを周っているのは鮮やかな色の小さなおもちゃの車のように感じるでしょう。
それでもなお、バーレーンを最もよく象徴しているのは、これらの真珠です。バーレーンは、世界最高級の真珠生産に対する高い評価を熱意をもって尊重し守っています。実際、御木本幸吉が真珠養殖のプロセスを考案すると、バーレーンは速やかにそれに反応し、1928年にミキモトによる養殖や輸入を禁止しました(現在、バーレーン政府は独自の研究所を運営し、天然の起源を実証するために、複数の機械を使用して販売用真珠の試験を行っています)。「マター」などの多数の地元宝飾店を通じて、バーレーンは見る人を魅了する真珠に対する高い評価を維持しています。人々でにぎわう日曜日の午前中に、ダウンタウンのマターのオフィスで座っていると、この家族経営の企業に、獲れたばかりの真珠を売りたい漁師が定期的にやってきます。なお、潜水の許可証を買えるのは、バーレーン国籍の人々に限定されています。現在は、4世代目のファーテン・マターが同社のかじを取り、彼の兄弟や姉妹の1人も同社で働いています。彼女は控えめで思慮深い人物で、彼らにとって真珠の販売は単なる商売ではないのだと力説しました。
彼女は同社を象徴するエレクトリックブルーの小袋を手に取り、それを開いて中身をそっとテーブルの上に出しました。その袋には、数百、あるいは数千の、完璧な球状の真珠が詰まっていました。「大量生産ではないんです。一つひとつ手作業で収穫する必要があります」と彼女は話し、おそらく十年以上続いているネックレスの作り方を説明しました。同じサイズや輝きの真珠に等級分けしてから組み合わせるそうです。「真珠の宝飾品は、すぐに利益は出ないんです。情熱と忍耐が必要です」 そしてもちろん、ナビのようなエキスパートの手助けが得られるという少しばかりの幸運も必要でしょう。
英国生まれでニューヨークを拠点に活躍するジャーナリスト兼テレビ番組ホストのマーク・エルウッドは、『Raffles: From Your Butler(バトラーから見たラッフルズ)』の著者です(2025年、アスリン社より刊行)。旅行、高級品、ファッション、コンテンポラリーアートのスペシャリストである彼は、『Conde Nast Traveler』の寄稿編集者、『Robb Report』のエディター・アット・ラージ、「Bloomberg Luxury」のコラムニスト、Bloombergの「Travel Genius」ポッドキャストの制作者兼共同ホスト、『Wall Street Journal』と『New York Times』の寄稿者です。